「あなたが出産前後にフルサポートできないのなら5人目を産む自信がないよ・・・」
2020年某日、第5子の妊娠が分かった時に妻から言われた言葉です。お産の度に全力でサポートしてくれた妻の母が他界し、まだ不安定な時期でした。私の両親は高齢化とがんの闘病中、そして、コロナ禍という状況で、過去のお産では飛行機や新幹線で応援に駆けつけてくれた妻の親族に往来規制もかかりました。明らかに何かのブレークスルーが必要な状況でした。そこで、福島医大脳神経外科の男性医師として初めて、前代未聞の育休を申し出ました。同門の先輩からは「男性が育休!? 昔じゃありえない!」と少し心痛いお言葉もいただきましたが、ありがたいことに藤井教授と医局の理解を得て、5週間という時間をいただきました。育休中は「授乳以外の全ての家事・育児を自分が行う!産褥期の母体回復の観点から“床上げまでの1 カ月間は、お母さんが持ってよい最も重たいものは赤ちゃん”という理想的な状態を目指しました。
育休の1日は毎朝5時に起きて、朝ご飯とお弁当づくりに始まり、深夜22時くらいまでノンストップでした。7人分のご飯の準備では「なんで人間は1日3回もご飯を食べるの!?」という気持ちになり、毎日くり返される大量の洗濯とオネショ布団は、数日間干しっぱなしということもありました。特にきつかったのは、四六時中私にへばりついていた四男(当時1歳9ヶ月)を「おんぶしながらの家事」でした。腰は痛くなるし、泣かれたり、熱を出されたりした日には、予定していたことが全て変更・中断となりました。いつの間にか自分の住処と化した台所で「気絶」していることも何度かありました。コロナ禍で学校給食が一時ストップし、「2カ月間の慣れないお弁当づくり」が自分にとっての最大の試練でした。「お弁当はママのほうがおいしい!」と言われてはヘコみ、弁当の準備が間に合わない悪夢で起こされたりした時のあの焦りは今でも覚えています。でも、最後には「キャラ弁」にも挑戦し、子どもたちから「パパ、お弁当つくってくれてありがとう!」という手紙をもらった時には思わず涙が出ました。また、子どもたちと一緒に泥んこになった靴を洗ったり、洗濯物を干したり、ご飯を一緒に作ったりと、沢山の時間を共有することができました。習い事の準備と送り迎えも分刻みでバタバタでしたが、いつもは見られない子どもたちの躍動と成長を見られた事は、自分の宝物になりました。
5週間の育休を通して「妻のこれまでの大変さ」さらには「女性の偉大さ」 を深々と感じることができました。幼い年子や双子がいる家庭の大変さや、赤ちゃんをおんぶしながら家事をこなすお母さんの気持ち、それと同時に自分が受けたであろう、親の愛情と頑張りを感じることもできました。また私が普段、診療で沢山接する多くの高齢患者さん(人生の先輩方)に対し、戦後という環境下で子どもを産み育て、日本社会を発展させてきて下さった事に対する尊敬と慰労の気持ちが湧き上がるようにもなりました。現代は多様な価値観があり、生き方はそれぞれです。ただ一つ言える真実は、今の私たちがあるのは両親、祖父母が「生命のバトン」をつないでくれたからです。祖先から受け継いだ「生命のバトン」を未来の世代へとつないでいく努力も、私たちの大切な使命の1つではないでしょうか。家族の愛と勇気で、現代の少子化社会に負けず、明るい日本の未来が切り拓けるよう願っています。
出産というものは予定日がわかっているからこそ,その日に向けて早めに動いて準備する事が可能であり,患者さんや医局に迷惑をかけることを最小限に抑えることができるかと思います。脳神経外科は、仕事としてのやり甲斐、学問としての魅力、ともに最高の分野であると感じます。一方で脳神経外科医の子供が脳神経外科医になりたがらない寂しい現実も聞きます。草創期の脳神経外科は親子の時間をとるのが難しいほど過酷だったからであろうと想像します。家族を顧みる余裕もないほどに全力で医療に尽力された先輩方への感謝は決して忘れません。しかし、どの業界においてもライフワークバランスが叫ばれる現代、学生からも入局を決める条件の1つに「子育てしやすい環境」「子供がいる女性医師が活躍する医局」という声を沢山聞きます。「仕事の代わりはいても親の代わりはいない」のも確かです。「三つ子の魂百まで」とあるように,子どもの豊かな心情形成期のゴールデンタイムに,親子の触れ合う時間をつくる育休は、多大な貢献を果たすと思います。子どもが親を好きになれば、親のような医師を目指すようになるかも知れません。
2022年の「第42回 日本脳神経外科コングレス総会」において、私は男性育休について発表する機会をいただきました。その時に座長を務められた教授からは、「男性育休を脳神経外科学会が全面的にサポートする!」というお言葉を頂きました。今や脳神経外科学会のみならず、日本社会が男性育休を推奨する時代が来ていると感じています。
私が取得した育休は5週間ですが、これは脳神経外科人生を50年とすると、わずか1/500の時間です。育休により医師とその家族が生き生きすれば、雰囲気が明るい教室となり、若手医師の獲得、ひいては地域医療の活性化にもつながると確信しています。 私達の医局でも、この3年間で述べ10名の男性医師が育休を取得しました。教室内の助け合いが増え、より明るい医局になったという気がしています。また介護などのライフイベントで、休みが必要となった際も、大学から人を派遣して支え合っています。私たちの医局は、ワークとライフ両面のサポートを大切にしています。
2014年に福島へ来たきっかけは、当時脳神経外科教授であった齋藤清先生のもとで高難度の頭蓋底手術を勉強したい、大自然の中で子育てをしたいという想いからでした。福島に来て齋藤先生、現在の藤井教授を始め多くの方々にご指導とサポートを頂きました。脳神経外科医として、人間としても沢山成長させて頂きました。この場をかりて心より感謝申し上げます。個人的には福島に来てから子供を4人授かり今は子供5人(4男1女)の7人家族です。都会出身の妻も私も福島が大好きになり、2023年に福島の花見山に一軒家を建て、移住を決めました。福島、東北は人も自然も豊かで、子育てに最高の環境です。私達と手を取り合って、福島、東北の医療を盛り上げ、熱い、楽しい脳外科人生を送ってみませんか? あなたの夢、幸せ、輝く未来 を応援させて頂きます。
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岩楯兼尚 kenshoiwatate☆gmail.com 、 kiwatate☆fmu.ac.jp (☆を@に変換してください)
我が家を恒常的にサポートしてくださっている家事育児支援
『こども緊急サポートふくしま』 ※上記は、福島県立医大の助成対象施設です。