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私は、福島県の西郷村という自然にあふれる環境で育ちました。幼い頃から動物が好きだったので高校2年生までは獣医学部を志望していました。けれども国公立獣医学部は医学部以上に狭き門。両親からも趣味(動物好き)と仕事のバランスを考えるようアドバイスされ、地元の国公立大学を受験することにしました。そして福島県立医大のオープンキャンパスで脳神経外科の齋藤教授の手術動画の美しさとお人柄に惹かれたのが脳神経外科との出会いでした。
私は塾に通うことが両親の負担になると思っていたので、ひたすら学校と家で勉強を続けました。振り返っても本当に孤独でコツコツでしたが、負けず嫌いな性格もあって、何とか福島県立医科大学医学部に現役合格することができました。合格後は県の奨学金も利用させて頂いたので、福島県には大変感謝しております。
入学後は空手部に入部しました。オープンキャンパスで話しかけてくださった女性の先輩の影響です。数年経っても素敵な方で私の憧れです。
空手部では1つ上の先輩と出会いました。現在、彼は循環器内科医として働いており、私の主人でもあります。良いご縁を戴いたと思っています。
医学部での勉強は友人たちに支えられていました。特に得手不得手があるわけでもなく淡々とこなしていた印象ですね。
また、将来は子供が欲しかったのでQOLの高い診療科などを意識していました。当直やオンコールが多いとどうしても子育てに影響が出ますし、学生ながら現実的なことを考えていました。
無事に大学を卒業し、福島赤十字病院の初期研修医となりました。福島市内で救急車受け入れ数がトップであったことが福島赤十字病院を選んだ理由です。以前から興味のあった脳神経外科領域の治療も盛んでしたので、自然と惹かれた部分があったのかもしれません。
福島赤十字病院での2年間はとても濃密なものでした。まず上級医の先生方のお人柄が素晴らしかったです。忙しい環境の中でも患者様に誠実に向き合い、また人間性を崩さずに教えてくださる姿が印象的でした。自分もこんなドクターになりたいと、QOLだけではない仕事の魅力を教えて頂いたと感じています。
そうなんです。「やる気があると見せかけて」というお話ですが、研修医2年目に長男を授かりました。福島県立医大 脳神経外科学講座の齋藤教授に入局宣言をさせて頂いた2週間後のお話です。 どうしよう!と思って、ご報告するまでは凄く不安でした。 ですが齋藤教授は「(出産を経て)戻ってくればいいじゃない。素晴らしいね。」とおおらかな笑顔で仰ってくださり感動したのを覚えています。 ちょうど、消化器内科をローテートしていた頃には、つわりが酷くなり、それこそもう大腸内視鏡の研修などは本当に辛かったです。何度もトイレに駆け込んでは戻る、の繰り返しでした。けれど指導頂いている消化器内科の先生も同時期に奥様が妊娠されていて理解がおありで、大変気遣ってくださいました。
-脳外に進路を決められたのはいつ頃でしたか?ずっと憧れはありましたが、心を決めたのは研修医2年目の5月です。 脳神経外科は、夜間でも緊急対応が必要ですし、上級医の働き方を見てもすごく大変だなと思いつつ、治療を介して患者様が回復する様子を拝見し、自分も関わっていきたいと思うようになりました。また、脳自体の美しさにもとても惹かれました。
初期研修医2年目の1月に長男を出産し、育休後は脳神経外科の専攻医になるはずだったのですが、産後4ヶ月目に次男を授かっていることが判り、「嬉しい気持ち」と「申し訳ない気持ち」が半分半分でした。
齋藤教授にご報告に行くと「なんだ、辞めるとか言いだすと思ったよ! おめでとう、また戻っておいで!」と優しい言葉をかけてくださいました。本当に感謝しています。
こうして、私は2018年1月~2019年9月まで17ヶ月間の産休・育休をいただくことになります。
長男が1歳8ヶ月、次男が6ヶ月の時にいよいよ復職しました。
-お休みの期間中、医療との関わりは?
それが全くない状況でした! 想像以上に子育ては大変でした。むしろ初期研修医の頃の方が眠れていたくらいで。研修中は当直明けには寝られるのですが、子育て中は四六時中、ずっと眠いんです。子供が2人ともずっと泣いているし、医師である夫は仕事が忙しく帰ってこられないという日々で・・・心身共に疲れ果てていました。世の中のお母さんは本当にすごいです。
けれど子供達とは、幼い頃に十分な時間を一緒に過ごすことができました。
そして家事育児をこなす生活を送るうちに、自分の心にも変化がありました。
子供はもちろん大好きですが、「社会に出たい、仕事をしたい」という思いが強くなっていきました。
自分の時間というか自分の人生、子供もそうですけど、いずれ子供達は巣立ってしまいますよね?その後の自分の人生を考えると、やっぱりキャリア形成したいなと思い、仕事復帰しました。また男の子の母ちゃんとして、挑戦なしに諦めるのはかっこよくないな、と勝手に思っていました。
復帰宣言後、齋藤教授も育休明けの医局員をナビゲートするのが初めてだったようで、手厚いご支援をして頂きました。そして当時主人が勤務している星総合病院(郡山市)の脳神経外科に配属となりました。(星総合病院の脳神経外科は専門医3名が勤務しており私がいなくても機能していました。)
医局の手厚いバックアップのもとで、当直なし、オンコールなし、お迎えや急な発熱時の退勤など、福利厚生が充実した環境で復職できました。これには、子供が月に2.3回くらいは熱を出すので本当に助けられました。また病院併設の保育園に預けられたこともあり、発熱するとすぐに迎えに行き、そのまま小児科へ受診できるという環境も大変ありがたいものでした。
さて、肝心の勤務ですが、経験豊富な上級医3人が私を支えてくだり、病棟管理から救急対応、手術手技まで、2年近く臨床から離れていた私を指導してくださいました。元々手術件数の多い病院でしたので、最初は助手からですが、徐々に執刀もさせて頂けるようになり、大変充実した時間を過ごすことができました。また、子供の迎えなどで早退する時に、嫌な対応をされたことが一度もありませんでした。気持ちよく送り出してくださるので、働ける時間は懸命に頑張ろうと素直に思うことができました。
星総合病院で経験を積ませて頂いた後、夫の転勤に伴い私も大学病院での勤務となりました。
市中病院とは全く異なる診療体系の大学病院の勤務に緊張を覚えつつも、最初に大変だったことが「こどもの保育園問題」でした。前の職場は併設の保育園にスムーズに入れたのですが、大学病院の保育園に空きがなく、1ヶ月くらいかけて何とか探し出し、結局は長男次男を別の保育園で預かってもらうことになりました。
毎日預けに行って、預けに行って、迎えに行って、迎えに行ってと忙しかったのを覚えています。(半年後には空きが出て一緒の保育園に預けることができました。)
-市中病院と大学病院の違いを教えてください。
はい。市中病院はとりあえず救急車が来て、その患者様をスピーディーに対応します。手術は概ね脳卒中や外傷がメインです。それに対して福島県立医大は外傷や血管障害もありますが腫瘍の手術が多いです。
手術日に合わせて専攻医がカンファレンスで術前のプレゼンをし、その後上級医の助手として手術に臨みます。
その後、専攻医は6~12時間程度の手術動画を7~8分に編集してまとめます。手術のポイントをわかっていないと編集できないので、これが大変勉強になります。
大学病院でしか学べない知識や専門的な手術アプローチなどが多数あり、ここで学ばないと専門医試験には臨めないなと実感しました。
私が大学病院で勤務して1年後、当講座の齋藤教授が退官され、当医局から藤井教授が就任されました。柔らかな雰囲気の教授ですので、働き方など親身になって相談に乗ってくださいます。
手術がお上手なことは周知の事実ですが、研究や論文執筆を大切にされる教授で、今まで触れていなかった見知、経験に触れられると考えています。まだまだ臨床経験を積み重ねたい気持ちもありますが、大学院生となって臨床と研究に注力できる環境は今後のキャリア形成を考える上でも重要だと思います。
はい。大学病院で2年間勤務した後、再び福島赤十字病院で勤務することとなりました。研修医の頃は妊娠していたこともあり数多くのご配慮(当直なし、オンコール無しなど)を頂いていましたが、今度はそうはいきません。
私が配属になったとき、脳神経外科の当直は医師3人で回していました。そして日赤病院の輪番当直は何と月に14回です。加えて、担当患者さんの急変にも対応しなければなりません。ですから急な呼び出しがあって夫も当直の時などは、子供を連れて病院に急行し、病院に預けてから救急患者さんを挿管するなどしていました。
医師として全てがプラスの経験であることを認識しながらも、正直、なんとか無事に1日が過ぎていくことを願う自分もいました。
振り返ると、「あぁ大変だったなぁ」と思うことが多いですが、十数年このような勤務を続けている先生方と同じ時間を共有できたことが自信に繋がったと思っています。
現在、長男が6歳、次男が5歳となり以前のような忙しさはなくなりました。
大学病院で勤務しておりますが、7時半の朝カンファランスに間に合うように家を7時に出て、子供の送りは夫に頼むことが多いです。救急当番や手術担当、病棟業務など他の専攻医と同じ業務内容をこなせることもあれば、子供の急な発熱や夫との仕事の兼ね合いで、他の医師に負担をかけてしまっていると感じることもあります。子供の迎えはほぼ私が担当しているので、18時半には病院を出ます。手術を途中で抜けて申し訳ないという思いと、子供に対して迎えが遅くなって申し訳ないという思いでいつも頭はいっぱいです。当直は月に4回程度ありますが、この時間を勉強に当てています。
ふとした時にお話を聞いてくださる上級医、そっとサポートしてくれる同期や後輩のおかげで私の医師人生は支えられています。そんな方々のご配慮を患者様にお返しできるよう、日々尽力して参ります。
「だいじょうぶ?」の声かけで人は何倍も頑張れるものなのだと知りました。
私は脳血管障害、特にカテーテル治療に興味があります。また小児脳神経外科の領域にも、症例は多くないですが参加させて頂いております。
脳神経外科専門医取得後は血管内治療専門医の取得を目指しています。
現在、国主導で働き方改革が進行中です。これまでの先生方の働き方を今後も継続することは難しくなりますし、今後、形を変えて医師や看護師に適切な労働環境が整備されることを期待しています。
QOLも大事ですし、今後のモチベーションにも大きく影響する「医師を目指した皆さんのココロ」も大事です。
女性医師が40%に達する2000年代において、皆さんが過去の労働環境に左右されず、未来に期待して、医師・医学者としの御仁の興味に純粋に向き合って進路を決められることを望みます。
縁があれば、福島県立医科大学脳神経外科の門をたたいてください。
当科には私のようなママドクターも育休を取得した男性医師もいます。
脳神経外科に興味のある先生方、医局を通してご連絡ください。